2008年05月11日
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「玉川上水系に関わる用水路網の環境調査」の現物を見るも、玉川上水下高井戸分水向陽橋合流説の確証は得られず

Written By: 川俣 晶連絡先

 今日は都立多摩図書館まで行って、「玉川上水系に関わる用水路網の環境調査 渡部一二 とうきゅう環境浄化財団 1980」の現物を確認してきました。

 現時点で私が知る限り、玉川上水下高井戸分水が向陽橋で神田川に合流すると記述した、もっとも古い文献です。

 調査の目的は、向陽橋で合流しているとした根拠が何かを調べることにあります。というのは、「玉川上水の歴史と現況 東京都環境保全局 昭和60年3月31日発行」ではもっと東(東電グラウンドとろう学校の間あたり)に合流点が記されているためです。

 可能性としては、以下の3つ(4つ)が考えられます。

  • 向陽橋で合流している
  • 向陽橋よりもっと東で合流している
  • 途中で経路が2つに別れ、合流点は2つある
  • (いずれの、どれでもない)

 というわけで、実際に「玉川上水系に関わる用水路網の環境調査」を見てみましたが……。

 ほとんど、新しい情報はありませんでした。

 下高井戸分水については、ほとんど説明らしい説明もなく、ページ数も僅か。

 ただ6~7ページに書かれた具体的な調査のやり方の説明は有益でした。かなり理性的でまともな方針を立てて調査していたことが分かります。特に、不明な情報の扱いはまともな方針を立てていることが以下の記述から分かります。

e 当調査・研究では、現存する分水路の現状を調査することに視点をおいているが、将来『分水路の再生』という研究構想から考察すれば、可能なかぎり分水路の位置を図示すべきだと考え満足するだけの裏付け史料がなくとも、なんらかの分水路に関する情報があれば、検討を加え配置に記録することにした。

f たゞし、信頼できる資料にうらづけられた確認分水路と区分して扱う必要があると考え図示方法に色別して表示することにした。この水路を以後推定分水路と称することにする。

g 現地調査は原則として、確認分水路までを調査範囲としたが、水路によっては推定水路まで含めて調査を展開したところもある。

 さて、ここで問題は「色別して表示」されているはずの「推定分水路」が、モノクロ印刷のため色で区別できない点にあります。つまり、下高井戸分水(本書の表記は高井戸分水)が「確認分水路」なのか、それとも「推定分水路」なのかが分かりません。

航空写真を用いた検証 §

 唯一の成果は、比較的サイズの大きな地図に経路が書き込まれていたので、地図、航空写真と照合しての検証がある程度可能なことです。

 厳密な位置までは確認できませんが、不確実さを含むという前提でやれるところまでやってみましょう。

 国土地理院の米軍撮影航空写真(整理番号: UM871 KT, 撮影年月日: 1948年3月29日, コース番号: C A, 写真番号: 43番)を使用します。

 位置は、現向陽中学校西部の、神田川への合流点(とされる場所)付近です。

 まず、以下が問題の部分です。

現向陽中学校西部の、神田川への合流点(とされる場所)付近

  • 赤線=玉川上水下高井戸分水であることがほぼ確実に想定される水路
  • 黄線=神田川の支流(一時的に神田川から別れ、最終的に再度合流する)と考えられる水路 (ただし、赤線との合流点以後は玉川上水下高井戸分水とされる場合もある)
  • 水色線=神田川の支流 (現在は存在しない)。この更に北東側に神田川本流がある
  • 青色面=現在の向陽中学校(当時は昭和22年4月1日設立の下高中学校)敷地にあたる範囲

 黄線と水色線の間には、有力な水路が見られないことが分かると思います。

 これに、玉川上水下高井戸分水向陽橋合流説のライン(極めて大ざっぱ)を緑色で追加します。

玉川上水下高井戸分水向陽橋合流説のライン(極めて大ざっぱ)を緑色で追加

 これを見ると分かるとおり、赤線と黄色線の交点から神田川への水路を引くとすれば、どうしても向陽(下高)中学校の敷地を突っ切らねばなりません。

 以上から、玉川上水下高井戸分水向陽橋合流説には以下の疑問が出てきます。

  • 少なくとも1948年の時点で、神田川との合流点へ向かうそれらしい水路は見出せない
  • これ以後に水路を造るとすれば、中学校の敷地を掘らねばならない。あるいは、中学校の敷地を避けるためには、下高井戸分水(赤い線)の流路をより北側に付け替えねばならない。しかし、それだけの大工事の痕跡は見あたらない

 とはいえ、やはり「絶対にあり得ない」と否定するだけの根拠はありません。

 暗渠化するときに管を埋めてその経路に付け替えた可能性も無いとは言えません。

 ともかく、現時点では「不明」のままです。

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